2日目はオプショナルツアーに参加して隣国ボスニア・ヘルツェゴビナへ行きました。行った先はMostar(モスタル)。モスタルはヘルツェゴビナの中心地で、「第2の首都」として親しまれているそうです。
そんなモスタルへは所々寄り道しながらバスで片道4時間(直行だと2時間半だそうです)。この国は失業率が42%なんだと聞いたけど、通過した町・村はこんな感じでした。
ところで、今回の旅で気になったことが2つ。
一つは休憩のこと。普通「トイレ休憩」って言うと思うんだけど、ガイドさんも周りのトルコ人たちもみんな「タバコ休憩」って言っていました。トイレのついでにタバコ、バスが止まるたびにタバコ。とりあえずタバコという感じ?さすがまだまだ喫煙率の高いトルコです。
そして、もう一つは飲み物のこと。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナでもだし、その後行ったモンテネグロでもそうだったけど、休憩所やカフェなどで「コーヒー」と注文するとエスプレッソが出てきました(トルコでも「コーヒー」と言えばトルココーヒーが出てくるけど)。マグカップにいっぱい飲みたい時は「ネスカフェ」と言わないといけないみたいでした。
で、どこで飲んでも全然熱くない…!ぬるいのはなぜ?あちらの人はみんな猫舌なの?
それから「レモネード」はどこでもそのまんま「レモン+水」でした。トルコだとけっこう砂糖も入っているのか甘いんだけど。サラダも野菜の味がトルコみたいに濃くなくて、ちょっと寂しい感じ。小さなカルチャーショックです。
余談だけど、ツアーには赤ちゃん連れが3組、それから車いすの人も3人。一人で参加の人も何人かいました。お互い助け合い、でもあまり気を遣わなくていい自由で気ままなツアーメンバーでした。
数百年におよび様々な国の文化・宗教の影響を受け、オスマントルコの影響も受けてきたモスタル。
ここで有名なのは、400年の歴史を持つ石橋「スターリ・モスト(Stari Most)」です。この石橋、トルコで一番有名な建築家ミマル・シナンの弟子によって作られたそうです。だからか橋の入り口にトルコ国旗も。
「地元の子供たちは肝試しで橋の上からネレトヴァ川へ飛び込む」と聞いたけど、私たちが行った寒い日も一人の青年が飛び込んでました(だけど、あれは見せ物だったのかも??)
高い所が大好きなムっちゃんはここでも一人橋によじ登って写真を撮ってました。で、みんなにカメラを託され、カメラマンになってました(←いつものこと)。
そして、モスタルにはもう一つの姿が。それは…
ボスニアの内戦の傷跡がまだまだ痛々しく残っています。民家の弾痕。
それから、1993年に亡くなった人たちの墓地。
自分と同じ年生まれの人のお墓も。中学・高校生の頃、なんとなく学校へ行ってなんとなく毎日を過ごしていたあの時期に武器を背負い戦っていた同い年の子供たちもいたのだ…と思うと切ない気持ちでいっぱいになりました。
このボスニアの内戦で1993年、石橋は砲撃を受けて全壊。
1995年、NATOの介入で内戦は終わり、ユネスコや世界銀行などの援助や寄付で橋の修復が進められたそうです(2004年7月に完成、モスタルは2005年に世界遺産に登録されたということです。)
ちらほらと50~60代の日本人旅行者の姿も見かけました。個人旅行かな?道すがら地元の女の子たちが「カワイイ~!」と言って走り去って行ったり(「こんにちは」と誤解しているのかも?)、お土産屋さんのおじさんが「イラッシャイマセ」とカタコトの日本語を話したり、「おおきに」というのれんや日の丸の旗があったり。日本人が来たという痕跡?をいくつか発見。
今ではすっかり観光地化されているけれど、石橋の素晴らしさにも辛い過去の歴史にも、いろんなことで勉強させられた街です。もっと復興して、国全体がもっともっと豊かになるといいなぁ。
おまけ。
モスタルで食べたボスナ・ボレイ。と、横でおこぼれを狙っていた猫ちゃん。
食べ物はボレッキ(トルコ風パイ)もキョフテ(トルコ風ハンバーグ)もトルコ料理にそっくり。トルコ文化の影響を受けたんだね。
それと、帰り際に見つけて気になったプチホテル。川が真横に。しかもものすごいあふれそうな勢いで流れてました。音が気になって眠れない…と思うけど。こわ~い…
つづく